むか新 × みんまち = いろは蔵(食野 + 九条 + KIX)
経過
思い返せば、平成30年10月5日、このプロジェクトの発端となる依頼がありました。
泉佐野産のもち米を使用して、地元の有名和菓子製造会社『銘菓創庵むか新』さんの銘菓「いろは蔵」をリニューアルしたいと。
即座に、みんなのまちづくり隊にて協議。
幾度となく議論した末に迎えた平成31年3月1日。日根野地区と大木地区の農家の方々とみんなのまちづくり隊で、第1回目の会合を開催し、プロジェクト化することを決定。
これを、六次産業化プロジェクトとして、むか新さんや地元農家の方々とみんなのまちづくり隊との協議を繰り返し、休耕地を活用し、6月9日に上大木の重要文化的景観に指定された棚田で合同の田植えを実施。
9月28日に再び合同で稲刈りを実施し、伝統的なだてがけを手作業にて行い、無事収穫。
デザインは、関西航空少年団のデザインを手がける中村紫苑氏の筆で荒波を表現したデザインが採用され、本格的にリニューアル。
当年度中に開発し、発売予定だったが、紆余曲折を経て、本日、堂々と世に出ることに。
箱を開けた瞬間に広がる香ばしい香りと重厚感ある荒波のデザインに新たな価値を感じました。
今までのいろは蔵とは違い、崩れ落ちることが少なく、茶道家の先生からもお茶席でも召し上がりやすい和菓子に生まれ変わった、とご評価いただきました。
意義
1234年に日根荘が立荘し、室町時代に京の都の九条家『九条政基』が現在の大木地区を拠点に直接統治を行う時期がありました。
その後、江戸時代中期から現在の泉佐野駅浜側の佐野町場で大いに栄えた食野家が全国との貿易や金融で巨万の富を築き上げました。
当時、大小数十もの倉庫としての蔵「いろは四十八蔵」が建てられ、それに因んで命名されたのが銘菓「いろは蔵」だそうです。
かつての泉佐野は港で栄えた町でしたが、その歴史は繰り返され、現在は関西国際空港という空の港で賑わう町となっています。
九条家の統治した大木・日根野地区で育てられたもち米が、食野家の反映の象徴であるいろは蔵に運び込まれるといった具体的なストーリー性と、山手の歴史と浜手の歴史、それぞれの魅力をつなぐストーリー性が結びつけられる、この度のいろは蔵の再構築は時空間を越えた多元的な意義を有していると思います。
まさに九条のブランドと食野のブランドが時空を越えてコラボレーションできるという魅力的価値が存します。
さらには、九条家が統治した時代の二枚の絵図と政基公がしたためた旅引付という珍しい日記が日本遺産に認定され、さらに泉佐野市が日本遺産に認定されている食野家が貿易に使用した北前船の寄港地・船主集落の枠組みに入ったことでも、山手と浜手の歴史とストーリー性が、日本遺産という新たなブランドで結ばれることになりました。
北前船関連の日本遺産認定には事務局として株式会社ANA総合研究所がかかわっていることを考えると、山から海、そして空へと繋がっていく可能性も想定されます。
泉佐野市が有する山、海、空の魅力は、関西国際空港によって大きな可能性が開かれつつあります。
やがて数年先に開通する土丸栄線で、その繋がりは物理的にさらなる結びつきを強めます。
泉佐野市は歴史的に見ても、日本一栄える可能性のあるまちであることを確信しています。
それを歴史が証明しています。
そのストーリーを結びつける象徴的存在として、この度のいろは蔵が、世界に羽ばたいてくれることを願って止みません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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